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壬生狂言といえば、京都壬生寺の狂言が有名です。春と秋、そして節分のころに盛大(せいだい)に行われています。約700年前、鎌倉時代、円覚上人(えんかくしょうにん)が、京都の壬生寺で「大念仏会」の昼の勤行(ごんぎょう:仏前でお経を読んだり礼拝したりするお勤め)として始めたものが、やがて若狭に伝わったのです。 |
京都の他、若狭小浜にのみ伝わるもので、ご本家壬生寺での演目ではすでに消滅(しょうめつ)した曲目も若狭には残されており、素朴(そぼく)で荒々しさを持つ和久里の狂言は、貴重な民俗芸能(みんぞくげいのう)といえます。 京都から伝わった過程、ルートは明らかではありませんが、舞台となる和久里の西方寺は、南北朝から室町時代、南朝の小浜の代官(だいかん)の長井雅楽介(うたのすけ)が戦いに敗れ出家、創建したものであり、その供養塔(くようとう)として「市の塔」が建てられました。そうしたつながりから伝わったと見られます。 若狭においては、西方寺境内にある「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」(通称 「市の塔」)の七年祭(十二支の子(ね)と午(うま)の年)に奉納されます。京都と同じく着面無言劇(ちゃくめんむごんげき:お面を着けて演じる無言の劇)で、和久里では9曲が伝えられています。 |
上演する場所は、西方寺境内(けいだい)に丸太で組んだ仮設(かせつ)の舞台上です。檜(ひのき)の柱に屋根はわらぶきで、舞台のひさしと床のすそまわりは杉と檜(ひのき)の青葉でかざられます。ひさしの正面には「壬生」と大きく書かれた額(がく)がかけられます。舞台の下手(しもて)には橋がかかります。 |